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母のリハビリ病棟での生活が始まりました。


本格的なリハビリが始まると
母は自分の病状の重さを

ますます実感することになりました。


母は負けず嫌いで頑張り屋。
けれど
孫くらいの若い療法士さんたちに
指導されることが
プライドの高い母は
苦痛そうでもありました。


その頃のわたしのメモに
「今日は瞬間的にだけれど
手を借りながらも、すくっと立てた!!」
と書いてある日もありました。

リハビリを頑張れる日もあるのです。


寝返りは母にとって
簡単ではなく
なかなかできませんでした。



リハビリ病棟で雛祭りの頃の母
坊主頭だったのが随分髪が伸びました。
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リハビリ病棟での生活も4ヶ月目
途方にくれていた(笑)時期です。




わたしは単身赴任の専業介護人。
自宅の家族は放りっぱなしなわけで...
負い目を感じます。


そこまでしてここにいるのだから
介護人として
やれることはやらねばならない...。

その
自分自身の意識が重かったです。


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母の要望もあって
午後のリハビリは毎日付き合うことにし
バスの定期も買いました。


そしてその他の時間は
実家を片付けまくっていました。
先は全く見えませんでしたが
必ず一度は
母が自宅に戻って来ると
信じていましたから。


しかしながら
月に一度くらいは
自分の家族の様子を見に戻りました。


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入院当初から看護師長さんに
介護認定を受けるように言われていたので

頼んであった(自分で電話する)
 要介護認定の認定調査の方が
母のベッドにみえる日になりました。



家族の立ち合いが必要なので
時間を合わせました。
50台後半?くらいの
穏やかな女性の方でした。



その日
認定調査の方が帰られたら
わたしもその足で駅に向かい
自分の自宅に戻ることにしていたので
荷物のカートを引いて立ち合いました。



認定調査の方は担当の看護師さん等に
様子を聞いたり
母に質問したりして状態を判断します。



母は自分の生年月日や住所などの質問には
きちんと答えられましたが
やはり認知能力が低い分野もありました。


食事も自分の口からはほんの少ししか取れず
寝返りもできず
生活の全てに介助が必要。



調査が終わり
わたしがこれから関東地方の自宅まで
電車で6時間以上かけて帰ることを知ると


調査の方がしみじみ
「あなた、大変ね。
これからですよ。これからが大変なんですよ。」
とおっしゃるので

「これから、ですか?」
聞き返すと

「そう、これからが本当の大変さなんですよ。」


心配そうに言って下さったのが
印象に残りました。



しばらくしてから郵便で
母は
「要介護5」
という判断が届きました。




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