Detour

しばし...昭和にとどまらせて下さい...

カテゴリ: 母の介護時代


あっちに行ったり
こっちに戻ったり
移動が多い日々を続けています。


移動するって
疲れますよね。

電車に乗っていて
実際に歩いていなくても


むしろ自分が歩いている方が
疲れません。





時間を見つけ
お散歩は続けていますよ。
今はそれが生きがい(^^)


時々通る施設の前のお飾り

見る度に
母が施設にいた頃を
思い出します。



一月、新年、寅年ですね。

OI002005


母の介護をしていた頃は
コロナなんて影も形もなく
一番の敵はインフルエンザでした。


世の中
何が起こるかわかりません…

 

こちらの窓は
初春です。


梅や桃ですね。


OIP00008


母も施設にお世話になっていた頃
皆と工作をしていました。
最中は楽しそうにニコニコしているのですが


部屋に戻ってくると
なぜか
「つまらなかった」

拗ねたような態度をみせるのです( ´_ゝ`)

そんな言葉を聞くと
わたしは哀しくなって
「何でそんなこと言うの?」
って言い返して
小さなけんかみたいになってました。



母が施設に入ってた頃の写真です。

春を待つ母…


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なぜあの頃は
小さな子供に戻ってしまった母の言葉を
聞き流せなかったのかな…?

今なら笑って流せるのに。

わたしも必死だったんだね。きっと。
心の余裕なんて
微塵もなかった。



こんな冬晴れの日でした。
写真って不思議。
写真を見るとその時の気持ちも思い出します。

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外に出られない冬は
外出好きな母にとって
苦痛だったのでしょう。




施設の手作りの工作が飾られた窓を見ると
ほのぼのとした温かさと同時に

その中に繰り広げられている
人々の葛藤を感じてしまう…





一月はあっという間に終わりそうです。
ほんと、何があったか良く思い出せないほど(笑)


一月行く
二月逃げる
三月去る


逃げる二月に向けて
追いかけなきゃ(笑)


写真もたくさん撮りたいな。



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面会に行く度に

母が倒れた時
持っていたショルダーバッグや
棚の中にあった
アクセサリーを包んだハンカチなどなど

色々と持っていきました。


このバッグは
未だに処分できません。

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まだらになってしまっている記憶と
認知能力を
戻すきっかけにならないかな~と思い


母は良く覚えていて
「あ~。」
と笑顔で声をあげていました。



手先は少し動くので

バッグに入っていたポーチのチャックを
スーっと開けたり

ハンカチの結び目をほどいたり
何気なくできました。

いつもの、普段の
仕草、感覚、
それはしっかり残っていて


まだまだ潜在能力は
あるのです。

OI009916


でも
途中で無口になって
手を止めてしまったり...

感情の起伏は激しくなっていました。



リハビリ室に行って
初めは調子が良くても
だんだん無口になり
自分の殻に閉じこもってしまったり...


突然不自由になってしまった
自分の体に対する
絶望感があるのでしょう。

当然だと思います。

自分だったら
どうなってしまったか...

母のようでいられたかどうかさえ
自信ありません。



しかしながらリハビリは
本人がやるしかないのです。


せめて寝返りだけは
できるようになって欲しい。

OI009913


夕方寒くなって
カーディガンを着た私に
母が
「ゆりえ、もういい。帰りなさい。
風邪引くから。」

心配そうに言った顔は
昔のままの私を心配する顔でした。


悲しかったです。


前のしっかり者の母は、
子供のようになってしまった母の中にも
確かに存在している。


やはり良くなること
(少しでも生きやすくなること)
を信じて
付き添ってあげようと思う。





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久しぶりに母の介護時代のことを書きます。

自分の体調が悪いと
何となく介護時代の母を
思い出すのが
重いのです。

重いのですが
逆に頻繁に思い出すのです。


それは自分が年を取ってゆくことを
体で実感して
あの頃の母に
近づいていく気がするからかもしれません。



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母がリハビリを拒否しないかいつも
心配でした。



病室を明るくするために
お人形を飾りました。
母は意外にも(笑)
可愛いものが大好きなのです。

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それにしても母は
さみしがり屋の駄々っ子みたいに
なってしまいました。


わたしがいないと
リハビリの背中を押す人が
いないのです。


リハビリは午前、午後、二回あるのですが
なるべく午後に付き合うようにしました。


午後はやる気が
出ないことが多いのです。


二回とも付き合うのは
わたしもさすがに疲れてしまうので
ほんのたまにです。


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母は起きている時は
しっかりとしているのですが

頭の手術をしているせいか
眠り始めると
昼でもずっと寝ているし
お風呂や栄養補給の時間もあるので
リハビリを良い状態で
できる時間帯は限られています。


調子良く頑張れて
手を借りながらも立ち上がろうと
する時もあれば


一切リハビリできなくて
何のために今日、母の所に来たのか?
と思うことも度々ありました。

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母のリハビリ担当の若者二人は
母がやる気が出ない時も
頑張って声がけしてくれて
ありがたく感じていたのですが...

初めのうちだけでした...( ´_ゝ`)ね...


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介護時代のことは
写真以外
簡単なメモしか残していませんが
読み返してみても

リハビリ病棟の師長さんは
えっ?と思うことが多かったです。

まずこちらの病院の言った通りの日程で
急性期病院から転院してきたにもかかわらず
病棟が空いていなったことに対して
一言もない(-_-;)


そして
入院当初から
母の病状はリハビリしても良くならない...
諦めろ...的なことばかり言うのです。


不思議、
母のリハビリ期間は
最長6か月あります。
まだ転院してきたばかり。


母が完全に元に戻るなんて
誰が見たって思わないでしょう?

リハビリは
魔法じゃないんですから。


母は最重症のくも膜下出血で
命を取り留めただけで奇跡的。

でもできるだけ努力して、
少しでもできることを増やしたい
と思ってるし
ここの病院は
そういう趣旨の病院のはず。


腑に落ちないことだらけでした。





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゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆



母のリハビリ病棟での生活が始まりました。


本格的なリハビリが始まると
母は自分の病状の重さを

ますます実感することになりました。


母は負けず嫌いで頑張り屋。
けれど
孫くらいの若い療法士さんたちに
指導されることが
プライドの高い母は
苦痛そうでもありました。


その頃のわたしのメモに
「今日は瞬間的にだけれど
手を借りながらも、すくっと立てた!!」
と書いてある日もありました。

リハビリを頑張れる日もあるのです。


寝返りは母にとって
簡単ではなく
なかなかできませんでした。



リハビリ病棟で雛祭りの頃の母
坊主頭だったのが随分髪が伸びました。
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リハビリ病棟での生活も4ヶ月目
途方にくれていた(笑)時期です。




わたしは単身赴任の専業介護人。
自宅の家族は放りっぱなしなわけで...
負い目を感じます。


そこまでしてここにいるのだから
介護人として
やれることはやらねばならない...。

その
自分自身の意識が重かったです。


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母の要望もあって
午後のリハビリは毎日付き合うことにし
バスの定期も買いました。


そしてその他の時間は
実家を片付けまくっていました。
先は全く見えませんでしたが
必ず一度は
母が自宅に戻って来ると
信じていましたから。


しかしながら
月に一度くらいは
自分の家族の様子を見に戻りました。


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入院当初から看護師長さんに
介護認定を受けるように言われていたので

頼んであった(自分で電話する)
 要介護認定の認定調査の方が
母のベッドにみえる日になりました。



家族の立ち合いが必要なので
時間を合わせました。
50台後半?くらいの
穏やかな女性の方でした。



その日
認定調査の方が帰られたら
わたしもその足で駅に向かい
自分の自宅に戻ることにしていたので
荷物のカートを引いて立ち合いました。



認定調査の方は担当の看護師さん等に
様子を聞いたり
母に質問したりして状態を判断します。



母は自分の生年月日や住所などの質問には
きちんと答えられましたが
やはり認知能力が低い分野もありました。


食事も自分の口からはほんの少ししか取れず
寝返りもできず
生活の全てに介助が必要。



調査が終わり
わたしがこれから関東地方の自宅まで
電車で6時間以上かけて帰ることを知ると


調査の方がしみじみ
「あなた、大変ね。
これからですよ。これからが大変なんですよ。」
とおっしゃるので

「これから、ですか?」
聞き返すと

「そう、これからが本当の大変さなんですよ。」


心配そうに言って下さったのが
印象に残りました。



しばらくしてから郵便で
母は
「要介護5」
という判断が届きました。




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病院から家に戻ってきても
また母が意味不明なことを言い始め
騒いだらどうしよう...と思ったら
その日はほとんど眠れませんでした。
あんな母を見たのは初めてでしたし...




玄関前のサンシュのお花が咲き始めました。
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その晩、病院から連絡はありませんでしたが
朝、様子を見に行きました。



その日の午前中からリハビリが始まるので
母の様子が気になりました。


病院に出向き
看護師さんにお尋ねすると
その後、せん妄は起きなかったようでした。


そして
母はそう変わった風でもなく
リハビリ室では笑顔を見せてはいました。


でも、娘のわたしから見たら
明らかなお愛想笑いだとわかるのです。


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そう
母はある部分は
全く前のままの母。


母はまだ自分の体が
完全に自由を奪われているということを
受け入れることはできてはいないのです。


当然だと思う。


長い意識不明の状態から目覚めて、
徐々に色んなことがわかってきて
自分の持ってる自分のイメージとは
全く違った自分になってしまっているのだから。


自分でトイレに行くなんてもちろん
寝返りすらできない。


多少、認知能力が落ちている事が
むしろ救い。


とにかく母は昔から
人に頼ることが何より嫌いな人なのです。


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リハビリ室で
黒坊くん(母の担当の年長者の方)が
母のリハビリを担当してくれて
声をかけて一生懸命やってくれました。


「家族の方がリハビリに付き合ってくださるのは大歓迎」
とのことだったので
一緒にいて寝返りの練習や
背もたれなしに座る練習に付き合いました。


母は療法士さんたちの前では
「よろしく。」とか「どーもありがとう。」
と笑っていましたが

ベッドに戻りわたしと二人になると
本当に疲れた表情になりました。

何だかその様子に危機を感じ...

「明日も来るから、一緒にリハビリに行こう。」
とわたしが言うと
力なく頷いてくれましたが


何だか一人にはしておけず
母が眠るまでそこにいました。
情緒不安定になって
またせん妄を起こしたりしたら
大変ですし。




クリスマスローズ
今年もたくさんお花をつけてくれるかな...
OI006746



その日は初日。


まずは
一日のリハビリのルーティーンに
慣れてくれれば
きっと何とか上手くいく


そう信じて頑張るしかありません。



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母がリハビリ病棟に移り
その日するべきことが終わったら
もう夕方になっていました。



ベッドに戻った母も
新しい環境で一日忙しく過ごしたせいか
ウトウトし始めたので
わたしも実家にもどることにしました。



午前中早くから来ていたので
さすがにわたしも疲れました。




リハビリ病院まではバスを乗り継いで一時間はかかります。
やっと家にたどり着いた頃
突然わたしの携帯電話が鳴りました。
病院からでした。



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びっくりして出ると
その日の病棟の担当の看護師さんからで

「お母さんが不穏な様子なので来てください。」
とのことでした。


タクシーを呼んで
すぐにかけつけました。


母のベッドまで行ってみると
母の目つきは険しく、興奮したようで顔は赤く
わたしの顔を見るとすぐに眉をひそめて
「事件だよ。...男の人が来た。あの扉の所...警察を呼ばなくては...」
と言い始めました。


「どうしたの?どうしたの?」
と聞きながら
こんな異様な母をみたのは
初めてだったので
わたしは本当に驚きました。



その日の夜の担当の看護師さんが見えて
「興奮がひどくて、娘を呼んでくれ、警察を呼んでくれ。
というので申し訳ないけれど来ていただくよう連絡しました。」
と言って困った顔をされていました。



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今までも急性期病棟で看護師さんに
妙なことを言い(笑)
報告を受けたことはありましたが
多分こんな状態では
なかったのだと思います。



わたしはお詫びして
落ち着くまでずっと母の傍で座って
話をし続けました。


どのくらいの時間だったかな...
忘れてしまったけれど
実家に戻ったのは
完全に夜でした。


OI006741




「せん妄」と呼ばれるものだと思います。

後で入院している高齢者に起こりやすい現象で
部屋を移動したり、ベッドの向きが変わったり
そんな些細なことだけでも原因となり
夜起こしやすい症状だと知りました。


OI006742


意識不明の時は
目が覚めたらそれで良いと思っていたのですが



母の内面性が変わってしまったのだと感じ
ショックが大きく哀しかったです。


くも膜下出血で倒れるまで
母はしっかりしすぎるほどしっかりした
おばあさんでした。



これ以来、母が別人のようになってしまう瞬間を
度々、垣間見ることになります。





朝起きたらユリがまた二つ花開いていました。

OI006738

もっとゆっくり花開いてくれれば良いのに...





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↑間があいてしまいましたが
この記事の続きです。

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リハビリ病院入院当日
ベッドの空きがなく 
療養型病棟に入ることになってしまったのですが
次の日の午前中リハビリ病棟に
移れることになりました。



久しぶりに産直所でユリを買いました。
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二月は父と母の誕生月です。





次の日、朝早く
母のベッドに行ってみると
もう病棟を移る準備ができていて
母の担当の
療法士さん二人が
迎えに来てくれました。


一人は30歳を少し過ぎたくらい
もう一人は25歳くらい
若い独身男性たち。
二人とも立派な体格で
力持ちそうです。


30過ぎの方は
屋外でスポーツでもされているのか
日焼けして色が真っ黒。

もう一方の若い方は
色が雪のように白く

オセロのような黒白コンビ
対象的で
笑ってしまいました。
(心の中でね。)

それ以来、わたしは
二人を
「黒坊」と「白坊」
と呼んでいましたの。
(心の中でね)


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リハビリ病棟は綺麗で明るく
気持ちが晴れました。
下見に来て決めた時
それが大きな理由の一つでした。
 


移動当日は
これからのリハビリ計画の説明があり
午前、午後と
リハビリ室でのリハビリがあり
(担当、二人が交互に担当)
時間になると
ベッドまで迎えに来ていただけます。


一日一回は
摂食嚥下訓練・言語訓練
もあるということ。


時々は皆で集まって
レクリエーションのようなものもある。


話を聞いて
これだけしていただければ
少しずつ良くなる気がしました^^


そして師長さんからは
早めに介護認定を受けるように
連絡を取ってください
とのことでした。

その他事務手続きもろもろ...

OI006736



母は急に新しい環境になり
戸惑っている様子でした。


でも、皆さんに頭を下げて
笑顔をみせていました。

ずっと仕事をしてきた人なので
その様子は
お客様にご挨拶している様子に似ていて

リハビリ室にはたくさんの患者さん、
療法士さんたちもいて賑やかです。

刺激のある環境で
認知機能も
しっかりしてくれるといいな...
と願いました。


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急性期病棟から
たった一日だけ療養型に入院
そして次の日の午前中にリハビリ病棟へ



その環境の大きな変化が
大病した母には負担だったかもしれません。






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看護師さんを全く見かけないまま
呆然と母の横に座り続けて

どのくらい時間が経ったかな...

突如、
リハビリ病棟の師長さんらしき人が現れ
もにょもにょ理由を話し始めました。
(後でわかったことだけれど
リハビリ病棟の師長さんではなかった。
結局誰だったかは全く不明)



何だか...
急なことがあってお部屋の調整が
うまくいかなかったとか何とか...

一瞬、心によぎる
「本当〜...( 一一)?」



そして、明日の午前中には
リハビリ病棟の方へ変われる
とのことで
安心したけれど...

OI005982

だったら
今日、午後からの転院だったのだから
午前中に急性期病院の方に
「明日の転院にしてください。」

連絡してくれたら...?


急性期病院の方は
まだ滞在日数に余裕があったのだから
明日の午前中の転院でも
全く問題ないはず....


それって難しいことなのかしら?
病院間
ソーシャルワーカーさん同士?かな?
そう密に連絡取り合ってる
ものでもないのかも?

忙しいですしね。


それにしても
倒れて以来、初めての移動だったので
母にはけっこうな負担でした。


いずれにしても
病院の事情ちゅうもんは
わたしにはわからんの
┐(-。ー;)┌ゼ〜ンゼン


OI005964


わたしが取急ぎ
オムツの交換をお願いし
お薬、栄養のことなど
お聞きしたら

お詫びしてくださり
すぐ対処して下さいました。

良かった(*^^*)



もう夕方になっていたので
わたしは実家に戻ることにし


明日、病棟を変わる午前中に
再び来ることにました。

OI005779



前の病院は実家からアクセスが
とても良かったのですが
今度の病院はバスを乗り継いで
一時間くらいはかかります。


帰り道とても遠く長く感じました。



病院という所は
アクシデントの連続なんですよね。
患者さんは人間
しかも弱っている方ばかり。



予定通りにいかないのは
当然なのでしょう。


けれど...

初日から
疲れ果ててしまった
リハビリ病院生活の
はじまりでした。



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リハビリ病院に着き
母を車いすで押しながら
入院の手続きをするために
受付に向かいました。



まずは外来で担当医の
診療と検査がありました。

終わると
リハビリ病棟ではない
古~い病棟に案内され

「リハビリ病棟に空きがないので
今日はここにいてください。」

突然言われました。



今年初めて関東地方にも雪...
OI006144


なんと
リハビリ病棟に空きがない
と言うのです。

...???  えっ?
入院の日取りも時間も
このリハビリ病院が指定してきたものです。
全てそれに合わせて
行動してきました。



そして
看護師さん二人で
ベッドの上に母を移動させたら
後は完全に放置状態になりました。


だ~れも出てきてくれません。


そこは四人部屋で
動くどころか言葉を発することができる患者さんは誰もいなく...
シ~ンと静まり返っていました。

療養型病棟という所だったと思います。


OI006146

わたしは母のベッドの横に座り
荷物を床に置いて
ボーゼンとしていました。


母が不安そうな顔をするので
事情を話して笑おうとしましたが
笑えませんでした。
ダメなわたし...orz


OI006147

おむつも前の病院の看護師さんに替えていただいてから
もう何時間も経ってる。

触ってみるともう限界。

ベッドを汚すといけないから
わたしが変えようか?


上手くできるかな...
でも
今日のお薬や栄養はどうなるんだ?

本当に今日だけなのか??
いつリハビリ病棟に移れるの?


頭がモヤモヤモヤ~~~(@_@。
不安、不安、不安


かなり長い時間そのままの状態でした。
どのくらい時間が経ったかしら...

母は疲れからかウトウトし始め
わたしは担当の方と
きちんとお話するまで帰れないと思い
気をはっていましたが
だんだん疲れ果ててきました。

OI006145


そう。
今、思えば
まずは
ナースコールを押してみれば
良かったのかもしれない(笑)



こういう場合は、待ってるのではなく
こちらからアプローチしていかなくてはいけなかったのですよ。


病院の方は病院の都合に合わせるのは
当然のことなのかもしれなし
母は多くの患者さんの中の一人。
忘れられていそうなら
こちらから動いて問いかけていかなきゃです
...(-_-メ)ファイト



しかしながら

予想外の展開に
わたしは混乱し
失望し始めていました。





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今日はもう二十三日
二月まであと一週間ほどとなりました。

お正月気分も完全に抜けた頃でしょうか...


実家のある町は今年は雪深く....
ライブカメラでチェックすると...

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う~ん、雨になっているのでしょう。
雪は溶けきてるみたい。


わたしの幼いころ
一月、二月はた〜んまり雪が降っていたので
そうビックリはしませんが
実家の前は雪がうず高く積まれているのでは??と思います。
空き家になっている実家は
誰も雪かきに参加できず
ご迷惑をかけているのだから
かまいません。


雪国では雪かきした雪を
どこに置いておくか...
大問題なのですよ。



お正月飾りの繭玉を見かけたので
思わずお写真撮りました。

IMG_20210123_143710_378


わたしはお正月飾りの中で
繭玉が一番好き

OI005971

可愛くて華やかで(#^^#)


それにしても
実家のある町の
春はまだ遠いね。

帰りたいです。

☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

新年、
小正月も二十日正月も過ぎましたので
ボチボチと母の介護記録の続きも
思いつくまま
書き始めたいと思います。


急性期病院のことを書く時は
思い立ってすぐに書き始められたのですが


リハビリ病院のことは
書き始めるのがなぜか億劫。

多分、
リハビリ病院ではあまり良い記憶がないからで...


急性期病院の記憶は
母が倒れ、手術をしたという
どう頑張っても避けることはできない
ウルトラショッキングな出来事から
始まったわけなのですが

意識不明の状態から目を覚ましてくれたという事実


最悪の時期を切り抜け
退院した時の方が
状態が良くなっていたわけですし


スタッフの方々への
感謝の気持ちが込み上げてきて
一気に書き上げる意欲が湧いてきたのですが



半年間入院したリハビリ病院に関しては
わたしの期待が大きすぎたのか
がっかりしたことばかりが思い出され


結論から言うと
入院前より退院する時の方が
良くない状態だった...
という事実がありました。


でも
思い出したくはないものの(笑)
なかったことにはしたくなく
自分の中の記録としてブログに残しておきたい
気持ちはあって
その頃のお写真を探しながら
ぼ~ちぼち
書いてゆきたいと思います。




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