Detour

しばし...昭和にとどまらせて下さい...

カテゴリ: 母の介護時代




↑この記事の続きです。

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転院先が決まった頃
お世話になった担当医から
お話がありました。

「リハビリをしても色んな機能が回復することは難しいかもしれない。」
とのことでした。

高齢だし、重症だし、意識不明だったし...
頭の片隅ではわかっていたことなのですが
これから本格的にリハビリが始まると
希望を持っていたところだったので
ちょっと気持ちが折れました。


うちは祖母が98歳まで生き
晩年、20年以上臥せっていて
最後の10年くらいは完全な寝たきりでした。

その時、褥瘡に悩まされていた姿が
頭に焼き付いていたので
何とか少しでも動けるようになって欲しかったのです。


たくさんの患者さんを見てきている先生や看護師さんたちは
予後の察しがついてしまうのでしょうね。


しかしながら
知らないということは素晴らしい(笑)
わたしはまだ希望を持っていました。


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大部屋に入院中
母のお向かいのベッドのおばあちゃんが
末期がんのために亡くなりました。

看護師さんに
髪の毛を三つ編みにしてもらったりしている
可愛い(*^^*)おばあちゃんでした。

80歳を過ぎたご主人がまだ現役で働いていて
娘さんがすぐ近くに住んでいて
もうすぐひ孫さんが生まれるという...

わたしの目から見たら
理想的環境で老後を送っているかのように見えた
おばあちゃんでした。


おうちも近くなので
時折、ご主人様が顔を見せ
お仕事をしていると思える娘さんも
ポチポチ面会に見えていたのですが...


わたしが行くと

いつもいつも話しかけてきて
「寂しい、寂しい、」
と言うのです。


寂しさというのは
その人にしか
わからないものなのですね。


一人ぼっちになった時
そして動けなくなった時
そして最後を悟った時
自分を支えてくれるのは何なのかな?

あの時のおばあちゃんを思い出し
今でも時折考えます。



答えは出ませんが...

私の場合、
まだ見ぬ天国を思ってウキウキする自信はないから(笑)

やはりこの世での
「思い出」
かもしれません。




退院の日を迎えました。
良いお天気でした。
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病棟の看護師さんたちが
笑顔でエレベーターの前まで送って下さいました(ノ´∀`*)

皆様、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。



☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚

無事年内に
わたしも急性期病院を退院できました(笑)
ブログに書いたことで
私の心の中での置き場所が決まった気がします。


重たい話にお付き合いいただきまして
すみませんでした。


リハビリ病院、施設での介護時代は
長かったので、一気に書けない...(+_+)
来年からぼ~ちぼちと
思い出すまま
書き残しておこうと思います。





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急性期病院は
三か月を一日も過ぎて居られません。

リハビリ病院を探し始めました。
そう時間がありません。


病院のソーシャルワーカーさんに
お尋ねすると
(車椅子で母も同席したりして)
いくつかリハビリ病院を紹介して下さいました。
どれも誰もが知る大きな病院ばかりです。


「母は高齢だし症状が重いので
どこが適しているでしょうか?」

とお聞きしましたが
自分で訪問して、見て決めてください。

ということなので
いくつか回りました。

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まず病院に行ったら
リハビリ病棟の看護師さんに
母の状態をお話しします。


寝返りは自分で打てない。
栄養は口からだけでは補いきれてない。
車椅子には一時間以上
乗っていられるようにはなった。
感情は乱れることはあるけれど
意識はしっかりとしている。
ちんぷんかんぷんの部分はありつつも...
会話は成り立ち
認知能力は戻りつつある。


そして受け入れてくださることができるか?
いつからか大丈夫か?

お聞きします。



リハビリで有名な病院は
若い方の交通事故など
すぐにでも社会復帰しなくてはいけない方が
メインだと思い
避けることにしました。


リハビリ病院は最長6ヶ月居られます。
明るい感じがして
年寄りの重い症状の人でも
目をかけてもらえそうな所

大部屋で息がつまりそうになった時は
個室に移れる

など考慮して
遠くはなりましたが
「ここが良さそう」
と感じた所に決めました。


でも
そのリハビリ病院は
想像していたのと全く違っていて...orz
正直思い返すと辛いです。

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そして
急性期病院を退院した後、
まだ病み上がり?というか
普通の状態とはかけ離れている母を
30分以上かかるリハビリ病院まで
どうやって移動させるか...

そんなことも
不安でした。



ソーシャルワーカーさんにお尋ねしたら
「私どもから紹介できるのは
こちらですけれど。」

一か所電話番号を教えていただき
何もわからないうえに時間も迫っていたので
そこに電話してお願いしました。


そしたら移動当日
ベッドごと寝たきりの患者さんを運ぶような
大型のバンが来て(*_*)
その真ん中にぽつんと母の車いすを固定し
運んでくれましたが
なんと料金は三万円でした(-_-;)


あとで介護タクシーなら
3000円以内で行けたことがわかり
正直すごくショックでした。


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わたしは実家での介護ではありましたが
30年くらい実家のある町から離れていたため
繋がりが全くなくなっており
「知っている人なら当たり前に知ってます」
という情報に
全くたどり着けなかったことが
悔やまれます。


その地域で
介護経験のある方、関係する仕事の方など
聞けるツテがあれば
情報やお知恵をいただけると
違うかもです。


わたしがその時
ソーシャルワーカーさんから聞いた内容は
インターネットで調べたら
わかることばかりでした。
(いや、むしろそうした方がより色々わかったかも)

ただ、今は色々進化していると思います。
もうこれはブログを始める6年以上前のお話し。
介護はもっともっと社会問題になっています。




まぁ...後、介護にとって
大切と言えることな
「運」?かな~~?(笑)


介護や医療は
人と人との関わり合いそのものですからね。


今振り返っても
神様に感謝する出会いも
いくつもありました。




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リハビリは進まぬまま
あっという間に
急性期病院に居られる三ヶ月は
過ぎてゆきました。


入院したのは真夏でしたが
季節は冬へと向かっていました。



夜まで面会が可能な病院でもあり
場所は通いやすく
わたしは一日に二度くらい
顔を出すようにしていました。


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母は自分で体の向きも
自由に変えられません。

でも
意識ははっきりしているので
回りの景色を見たりして
気分転換や認知能力を高めるため
電動ベッドの背を上げて
座らせてもらっている時があります。


しかしながら
極たまにですが
頭が徐々に横にずれて
そのまま横倒れになってしまい
母にとってかなりしんどい体勢に
なってしまうことがありました。


体の自由が効かない母は
ナースコールを押すことも
大きな声を出すこともできません。


誰かに見つけてもらうまで
そのまま我慢しているしかないのです。
 

二回くらい
そんな状態の母を
たまたま見つけて
助け起こしたことがありました。


その時、母は
「おまえ、助けに来てくれたんか。
ありがとう。ありがとう。」

泣きそうな顔で言いました。

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もちろん看護師さんは
巡回していてくれて

大部屋だった母の部屋は
状態が落ち着いてきた
高齢の方ばかりでしたが
扉を開け放してあり
看護師さんたちは
通る度々
皆の状態をチェックしてくれてます。


だから
わたしが見つけなくとも
ほんの少し後には
誰かが必ず見つけてくれるはずです。


看護師さんたちは
わたしの顔を見ると
必ず母の様子を教えてくれたり
親身になって話をしてくれます。

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しかも
ここは急性期病院
救急車でどんどん患者さんが運ばれてくる
命の砦の病院です。


お医者さんも看護師さんも
120%の忙しさで
働いていて
これ以上一人一人を
細かく見守ることなんて
不可能な状態です。
限界なのです。


病院も信頼できます。
誰かに文句を言う気なんて
さらさらありません。
 

ただ
「自分が気になってしょうがない」
のです。

「わたしが何とかしてあげなくちゃ。」


この気持ちは
母の介護が終わるまで
わたしを支配し
縛り付けていました。




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母はいろんな事がわかり始め
よく動かない手を見つめてポツンと言いました。


「心配ばっかりしてたから、こうなってしまったんや。」

この言葉は本当に切なかった。



母は長女で、父を亡くし、
とっても苦労した。
しっかり者の母は、
自分の母親と妹達の事を
いつも気にかけ面倒みてきた。


母はとっても厳しい反面
いつもいつも心配して、
できる限りの力になってくれた。

そんな存在は母以外には
いない。


ただ自分の価値観に
合わないことには厳しくて
上から目線で
重すぎることもままあったけれど...

人間完璧な人なんて
いないもんね。


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家族に何か一つでも心配事がある時に
自分が楽しむなんてできない性分

母が本当に楽しそうにしている顔を
わたしはほとんど思い出せないのです。



もはや家族の心配をすることが、
母の人格の一部のように
錯覚していたのかもしれません。



本当は母だって、
みんなの心配をして、
面倒を引き受けるのが
苦痛だったに違いないのです。




母は、その時、

全く甲斐性もなく
しっかり者でもないくせに
心配性の部分だけ似たわたしに
言葉を残してくれたんだ

今は思っています。


「自分を痛めるような
心配はしてはいけない。」

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時間が経て
色んなことが洗い流され

ますますそう感じるように
なりました。





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☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚

母の意識は戻り
家族の顔はわかり、話もできるのですが
記憶が途切れ途切れで
もうとっくの昔に亡くなっている
おばあちゃんのことを
「どうしてる?」
と聞いたり

父が亡くなっていることも
最初は忘れていて

認知能力は
曖昧でした。


体も全く動かない訳ではないのですが
自分で寝返りもできない
厳しい状態なのを
思い知りました。


目が覚めてみたら
全身の自由が奪われていたという状況だったので
初め認知能力がぼんやりした状態だったのは
むしろ救われました。

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自分が倒れて入院しているということがわからず

「どうして回りの景色が変わらないんだい?
船の中にいるからだろ?」

「今、船旅しているんだろ?」

とよく言ってました。

今思えば
ゆらゆらゆれているようにも
感じていたのかもしれないです。

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意識不明になる前の母は
ほぼ前の通りの母で

自分が倒れた瞬間のことも
しっかりと覚えていて
「買い物していて、あら?なんだか体に力がはいらない...と思ってたら
フラフラ〜としたんだよ。」
と言っていました。

だから知識のないわたしは
それ以上
意識の面で悪くなるとは
思っていなかったのですが


くも膜下出血後の
血管の攣縮は激しく
意識不明になり
(高齢のうえ出血が多かったためらしい)
色んな面で
重大な後遺症が残ってしまったのです。

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仕方ないことと思いましたが
母はリハビリをしたがりませんでした。

だから少しでもと思って
リハビリに
毎日付き合いましたが

失われたものは大きく
悲しい限りで...


けれど
食べる練習も始まり

車椅子に乗っていられる時間も
だんだん長くなりました。


徐々に自分の体か
前の状態でないことが
はっきりとわかり始めた母は
感情が乱れることが多くなってきました。





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☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚



私は荒れ放題の自宅を
ダラダラと片づけをしていました。
だるさが半端なかった記憶があります。


わたしが自宅にいられるのは
長男君くんの学校が休みの間のみ。


長男からは時々連絡が入り、
色々母に刺激は与えているものの
変化はないようでした。

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母がどうなってしまうのか?
全く先のことが見通せない状態。




昼下がり
長男くんから突然電話がかかってきました。

「おばあちゃん、目を覚ましたよ!
俺の事わかる?って聞いたら
うん、って頷いたよ!」


こんな風に意識不明の状態に陥って
再び意識を取り戻せる人は
どのくらいの割合なのかはわかりませんが

奇跡が起こった気がしました。


やはり長男くんは
母の最愛の孫だから
声をかけられて
目を覚ましたのでしょうか。


これは長男君がガラゲーのメールに添付して
送ってくれたその瞬間の写真です。


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こういう写真が苦手な方、ごめんなさいね。

わたしにとっては母が
新たな?母に生まれ変わって
目を覚ました瞬間なのです。


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長男くんと交代し
わたしが実家に戻ってからは
リハビリが本格的に始まりました。

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まだぼんやりとした感じの母

でも意識不明の時とは
全然違います。


お見舞いに行けば母と話せるし
(多少ちんぷんかんぷんですが)

わたしも俄然やる気が出てきました(笑)




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☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚



意識がもどらないまま
母は二度目の手術を
受けることになりました。


脳の中の水の流れを
良くするための手術です。
この手術は
実際そう長くはありませんでしたが
長く感じました。


母の状態が良くなる
最後の砦のような
気がしていたのです。

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手術室から戻ってきた母は
かすかに足が震え続けていて
心配でした。


手術は無事終えたのですが
すぐに意識が戻ることはなく

また母に
刺激を与える日々が続きました。


そんなこんなしているうちに
実家に着の身着のまま駆けつけて
一ヶ月以上経っていました。


担当医からは
もし、意識が戻らなければ
リハビリができないので
リハビリ病院に移ることはできない

言われていました。

このまま植物人間に
なってしまうのではないかと
焦る気持ちはありましたが


意識は戻らないながら
再出血はなく
「命」という観点では
母の状態は
ある程度落ち着いていました。

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わたしは一度自宅に
着替え等を取りに戻ることにし
学生で休みがあった長男と
交代することにしました。


一ヶ月も家を開けたことは
一度もなかったので
どうなっているかも
心配でした。


長男にマッサージや香りを嗅がせることを頼み
自宅に戻りました。


やはり...荒れ放題...orz

予想通りでしたが
疲れ倍増でした。



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☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚

母が麻酔から覚め
妹もICUで面会し
ぽつぽつ話ができました。


思えば母は
くも膜下出血の中でも
最重症だったのですけれど

母が話す様子をみて
わたしは
すぐに良くなってくれる
実家を片付けなくては...

なんて考え始めていました。


くも膜下出血は
三分の一は元気になり
三分の一は重篤な後遺症が残り
三分の一は死亡する


言われています。

その元気な三分の一に
入れる気がしたのです。


しかしながら
主治医から言われていた
手術後の脳血管の攣縮が始まり

徐々に意識が遠くなりはじめ
数日のうちに
意識が完全になくなりました。


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そうなると
刺激を与えながら
意識の回復を待つことしかできません。

「刺激をあたえること」

唯一できること。

午前中は病院のリハビリの方が
大部屋に移っていた母のベッドまできて
体を動かしてくださり

わたしは昼と夜、二回病院に通って
名前を呼んだりマッサージしたり
それでも全く反応がなく...


その頃は
もうお盆休みは終わり
主人と長男は
自宅に戻って
実家にはわたし一人でした。


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「くも膜下出血」、「意識の回復」

パソコンで色々調べて
耳元で録音した声や
ラジオ、音楽を聞かせる、
香りを嗅がせる、
など
色々体験談を見つけ
片っ端から試しました。


しかし
その体験談は
「おとうさーん」
と子供の声を録音して聞かせたという
まだ幼いお子さんのいる
働き盛りの若い父親が
くも膜下出血で倒れた方のもので
読んでいると
辛すぎるものでした。


母は80歳もずいぶん過ぎても生きられ
成人した孫まで見ることができました。
(心配ばかりかけましたが)

もし、
ここで母の意識が戻らなくとも
それは神様が決めたこと。
やるだけはやるぞ。

気持ちを持ち直し
全く反応してくれない母の元に
通い続けました。

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色々試した中で
たった一つ
母が少しですが
反応を示したものがありました。

それは「香り」です。
ラベンダーのような
良い香りではなく

癖の強い
ペパーミントとかクローブ

鼻の近くで嗅がせると
顔を少し、しかめるのです。


香り...
嗅覚は原始的なもの
と言いますね。
それを実感しました。


嗅覚の刺激は
ダイレクトに大脳に届くらしいです。


確かに
香りを伴った思い出は
香りによって
鮮やかに甦りますね。


香りだけが
母とこの世を繋いでいる
細い糸のように
思えました。



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母の10時間にも及ぶ手術が終わって
麻酔が覚めた頃
病院に向かいました。


全身管理のお部屋にいた母は
わたしのこともわかり
ポツポツと話もできました。

わたしは安堵しながら母に
「大丈夫?元気ある?」
と聞きました。

そしたら向かい側に寝ていた
意識のはっきりした
おじいさんが
「あー、あー、元気だよ。その人。
一晩中、なんだかうるさくて。」

とものすごく不機嫌そうに
吐き捨てるように
言いました。


「えっ、すみませんでした。」
とすぐ謝りましたが
最初、意味がわかりませんでした。

でもすぐに
麻酔から覚める時に
うわ言を言っていたのだと
わかりました。

しかも母は
頭の手術をしています。


ちょうど回ってきた看護師さんに

「すみません。昨日の晩、
母が何だかうるさかったようで。」
と謝ると
「あっ、あー、はい。」
のような返事をし
忙しそうに向こうにいかれてしまい...


ただその時に
母はしっかりと
大切な物の置場所など
わたしに伝えてくれて
とても助かりました。


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家に戻って家族に状況を伝え
ちょっと明るい雰囲気が戻りました。


でもその後
母は麻酔から覚める時
一体
何を言っていたのだろう...
と考え始めました。

あのおじいさんの態度
そして
サッと去っていった看護師さんの後ろ姿から
(考えすぎかもしれない、笑)

聞きたくもない話を聞かされた
という感じを受けてしまい
気になって仕方なかったのです。

母は我慢の多い人生でした。
「ならぬ堪忍するが堪忍」
なんて良く言ってましたから...

「良い人」
と言われる人ほど
心の奥底に秘めているものは
多いんじゃないかいかな〜(-.-)

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泉鏡花の「外科室」
にある
「私はね、心に一つ秘密がある。
麻酔剤は譫言(うわごと)を謂うと申すから、
それがこわくってなりません。
どうぞもう、眠らずにお療治ができないようなら、
もうもう快(なお)らんでもいい、よしてください」

という言葉を思いだしました。




うわ言...
誰しも何を言うかわかりません。
わたし、本当に、
自信ないわ〜(-_-;)

本当のことならいざ知らず
(いやいや〜、それもマズイか?)
願望、疑い、思い込みなども
ごっちゃまぜになっているかもしれないし。



今でも時々
母は何を呟いていたのかな...
と思い返します。




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母がくも膜下出血で倒れたことを
妹に電話しました。

手術の前だったか
手術を終えた時だったか
思い出せません。


妹と話すのは父の葬儀以来で
お互いに連絡することは
ありませんでした。


電話で
「お母さんが重症のくも膜下出血で倒れて
手術になったの。」

言うと

その返事は
「あー、そうなんや。年だからね。」

抑揚ない調子でした。

冷たい?というより
淡々と受け止めている
という感じ...

危ないという状態を
詳しく話をしていっても
淡々とした様子は変わりません。
...えっ?

わたしは拍子抜けして
正直腹が立ってきました。



それは
長男が母が倒れたことに対して
心配をかけてきた自分の責任を感じ
大泣きした様子を見たばかりで

わたしは幼い時以外
長男が泣くのを初めて見たのです。

OI005156


医師から
母の頭の中に
小さなこぶが二つできていて
それが弾けたのだと聞いた時
その中の一つは
妹が母を散々心配させ
苦しめたからできたんだ

とっさに思い浮かんだことが
再び頭を横切って
胸の中に黒い雲が立ち込めてきました。


あんなにも母を心配させてきて
悲しませてきて
その反応?


しかしながら
こんな時に
喧嘩をしたら終わりと...思ったのか
喧嘩すらできない終わった関係だったのか
どちらか良くわかりませんが
静かに話を終えました。


でも
電話を切った後も
怒りが収まりませんでした。


それから後
介護の最中も何回妹と
感覚がすれ違ったかわかりません。


OI005214


今、振り返ると
妹はいつもそういう風な
受け止め方
感情の表し方をするだけで
悪気はないのです。


今回妹自身が
膝の手術をするにあたって
わたしが心配して
ラインを何度か送りましたが
すぐに返信してはくるものの
淡々とした反応です。


母、叔母
二人の肉親の介護、死を通して
妹のことだけでなく
自分の性格を再認識し
色んな事がわかりました。

いや、ある意味
自分自身の事が
一番良くわかったのかもしれません(笑)


妹の幼い頃から
全く変わらない部分も
垣間見えて
可笑しくなってしまうこともありました。



そして、今、
あの時の妹の電話の反応を
思い起こしても
腹が立つこともありません。


あの子らしいな〜

感じるだけです。



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