Detour

しばし...昭和にとどまらせて下さい...

カテゴリ:あの頃 > 小学校

わたしが生まれた町はちょっと行くとすぐに小さな山があって坂道になっています。
うちの前はわりと広い道でしたがちょっと行くとすぐ路地です。
古い町なので小さなおうちがたち並んで、迷路のようにくねくね。
でも意外と迷わない。
生まれた場所は時間が経っても感が働くのかな?
P5151384
細い路地で子供たちがドッジボールをしてます。
わたしの小学校の頃は放課後いつのまにか集まったメンバーで
あちこち家の前の道でドッジボールをしてました。
いろいろな学年、男女混ざってやってましたね。

今でもこうして遊んでいるんですね。なんだか嬉しいな。
P5151385
わたしは運動神経ゼロなので投げるのは下手くそだし、逃げる専門でした。
ひっそり目立たないようにしていたので意外と最後の方まで残ってることが多かったですよ。
でも残っているのが少人数になると、まずわたしが狙われてました。
どんくさいのはみんな知ってましたからね(笑)

そんなわたしでしたがドッジボールは好きでした。
キャーキャー言いながら逃げ回るのが楽しかったんです。
今、思えばストレス発散してたんですかね(笑)
P5151386
ここは路地が本当に狭いので車の心配はないわね。
ボールが転がっても安心して遊べます。
P5151387


そして
こんな昭和レトロな銅像を見つけましたぁ!
これはまさしく昭和の小学生の男の子です。
ドッジボール持ってるし~
この子、かなりドッジボールうまいよ。絶対。
チーム分けの時引っ張りだこになるタイプ、フフフ...
もてる子だよ~、女子から。
こんな感じの人気のある男の子いたもん。
そうセイジくん。(漢字はもはや不明)
頭も運動神経も良くて...リレーの選手で...
似てる~フフフ❤
意味不明に受けてるおばさん一人...ヘヘヘ
P7081604
いでたちも昭和
体育着ぽいポロシャツかな?&ベルト&きっちり短い半ズボン
靴下、ズックに至るまでわたしの小学生の頃の男の子ですよ。

この銅像のネーミングは
なんと
「のびゆく子」
P7081605
はぁ~ネーミング、きっちり昭和です。
これしかないよね、うん。

よろしければクリックお願いいたします。


にほんブログ村

わたしが小学生の頃からあるんです。
金閣寺(笑)

P7292453
確か小学校の2~3年生の頃
頂いたのか、親戚が「置くところないから、ちょっと預かっといて」的な感じでずっとあるのか
どちらかだった気がするんですけれど...

応接間の出窓のところにず~っと置いてあります。
ガラスケースに入っているし、あまり日があたらない窓辺なので
中にある金閣寺はとてもきれいです。
P7292456
まだピカピカと昭和の頃と変わらぬ輝きを保っています。
ちょっと嬉しくなる綺麗さなの。
P7292461
実は小学生の頃から、かなり大きくなるまで
わたしこれが本物の純金だって信じ込んでいたんです(笑)

最初に触ろうとしたら母に「触っちゃダメ!」ってきつく言われたし
まず、ガラスケースに入っている=重要なもの って感覚。
そのうえ金ピカに光っているから貴重品だと思ってたんですねぇ。
うちに遊びに来たお友達も全員
「わぁ、立派な金のお城だねぇ。金持ちだねぇ。」的な発言をしてました。
多分、みんなも本物だとかなり長い間信じていた気がする(笑)
純粋昭和キッズ

小人さんになったつもりで見上げてみました。
う~ん、雅、京都気分( ̄ー ̄)
P7292469
でも実はこの金閣寺にわたしそんなに思い入れってなくて...ゴメン
今時って感じのお品だから欲しい人もかなり限られるでしょうしね。
リサイクルショップに持って行くにしてもかなり重いし...


この応接間ももうボロボロです(笑)
特にカーテンは50年の年月に耐えきれずこんなかんじ...
汚い画像でごめんなさい。

P7302532   P7302529


このカーテンに守られて金閣寺は元気いっぱい。こんなに綺麗。
やっぱり紫外線は美の敵よね(笑)
P7292473
この立派な?金閣寺をどうしたものか??
「どうしたものか」だらけのわたし....

よろしければクリックお願いいたします^^


にほんブログ村

昨日、今日ととっても暑いです。
ふと気まぐれに近所のお花屋さんで買ったペンタスが元気に咲いています。
赤と白を買ったのですが、
植えるまでもたもたしていたら、白の方は枯れてしまいました。
P7292429

わたし&妹は母がフルタイムで働いていたので
放課後の時間を健全に埋めるために(笑)
「昭和おけいこジプシー姉妹」になっていました。
その記念すべきおけいこのはじまり
それは徒歩5分以内にある「そろばん」と「お習字」
基本よね~「読み、書き、そろばん」

今もあるかなぁあ...と思い夕方ぶらり出かけてみました。
何しろ近いですからね。
でも近くても路地の奥に入ったほとんど行かない所なんです。

ものすごく怖い男の先生で
たいして教えてもくれないのにすぐに怒るんです(笑)
ちなみにわたしの小学校の同級生?年下かな?のお父さんでしたよ。

あ、あ、ありました。
子供たちがたむろしてますもん。
でも、ただの勉強の塾に変ってしまってるかもしれない。
DSC_1728
ん?ポスターが...
DSC_1726
そろばん塾ですねまだ。
やったー!!ヨカッタ(*'▽')
でもポスターを見ると「そろばんをすると勉強ができるようになるよ。」
ってうたい文句ですよ。
そうかもしれませんね。
だってスマホに計算機がついてる時代です。
ただ計算が速くなるだけでは必要性が薄いかもですね...

いや、むしろ、そろばんはわたしみたいに頭が固くなって
もの忘れが激しい年代のトレーニングに良いんじゃないでしょうか?
そろばん自体に幼い頃触れたこともある人がほとんどだろうし
ノスタルジーを感じつつ、頭を使うし、指先も使うし、
いいよね。うん。わたし通おうかな(笑)

puffer (2)
でも誰が教えてらっしゃるんでしょうか?
わたしの小学校の同級生は女の子でしたし、弟さんとかいたかな?
それともまったく別の方でしょうか...

ちらっと見える下駄箱の感じが昔のまま...
懐かしい
BlogPaint
中はこんな感じでした(画像お借りしました。)
puffer
級が上がるごとにそろばんにシールが貼ってもらうのが嬉しかったです。
しかし、すべてが中途半端なわたしはたしか3級までで終わりました。
もちろん妹も続いて習わされて(笑)いましたがもっと早くに挫折してました(笑)
けどまぁ、確かそろばんもお習字も、一か月のお月謝で週何回でも自由に行っても良くて
(両方ともほぼ毎日やってました。今思えばすごい。)
なんとなぁ~くそろばんや習字道具持って結構な回数通ってました。
同級生もいっぱい来てましたから、お友達に会いに行く感覚でしたね。

わたしの小学校の夏休みは
何回行ってもいいそろばんとお習字
そして近くの公園のプールがほとんどでしたね(笑)
ま、そんなものですよね。
P7292445



よろしければクリックお願いいたします^^


にほんブログ村

母に言われて行った数々のお稽古の一つに「英語」がありました。
確か小学校の4生の頃だったと思います。
これはまず先発隊として私だけが行きました(笑)
いつも妹とセットだったのですが
わたしの学年からしか入れなかったのです。
P6161972
わたしと妹の放課後を心配した母は
とにかくいろんな習い事を聞いてきました。
多分お客さまとか、生地屋さんとか...
母の心配がゆえの「おけいこジプシー姉妹」ですね。

当時英語を教えているところなんてほとんどなくて
そこも今の英語塾のような所ではありません。
クリスチャンの施設のような所で大学を出たか出ないかの若い先生たちが
文法とかは一切関係なく
ほとんど日本語を使うことなく最初から突然、全て英語授業をするんです。
う~ん、そう、授業というような堅苦しい感じでもないんですが...ちょっとホームルームみたいな雰囲気。
 
なんどか面白そうで、珍しくて、わたしもいつになく乗り気でした。

やはり自宅からは少し遠くてバスに乗ります。
その英語塾のあった場所に出向いてみましたが...
当然というかなんというか
建物の場所はこのあたりに間違いないのですが
多分ここ...ってくらいしかわからなくなってました。
この右側の茶色の建物のような気がするのですが...
違うかも...
BlogPaint
通りをはさんで反対側のこの部分が小さな公園みたいになっていて
ぶらんこや遊具が少しがあった気がするのですが...定かじゃありません。
でも確かに小さな公園で、授業が始まる前とか終わった後とか
皆で遊んだ覚えがあります。
P5201695
この川というか水路は昔からあって、今は綺麗に整備されてしまいましたが
前は柵なんかなく、水路の反対側に小さな中州があって
そこに飛び移ったりしてスリルを楽しんでました(笑)
P5201690
こうしてみると結構な水路ですね。
昔はもっと浅くてほとんど水底が見えていた気がするのですが
それも定かじゃありません。

たった一つしっかり覚えているのは
中州に飛び移って遊んでいる時、失敗して
パンツまでびしょ濡れになったことがありました(笑)
運動神経ゼロのくせに少々お転婆なところはあったかもです。
P5201694
ここで初めてハロウィンを知りました。
もう40年以上前のことなので、そんな行事は全く日本では浸透していませんでした。
本当に珍しくてワクワクしたものです。
若い先生たちが大きなカボチャをくり抜いてランタンを作ってくれて
お部屋を暗くしてろうそくを立ててくれた時の
不思議な異文化に触れた感動を今でも鮮明に覚えています。
P5201698
そして生徒たち一人一人に先生がEnglish name をつけてくれるんです。
先生の独断での命名です(笑)
そしてそこにいる間はずっとその名前で呼び合うのです。ちょっとオシャレじゃありませんか?
先生が「じゃぁ、来週皆さんに名前を決めてきて報告しますね。」
って言われた時はワクワクドキドキしました。
どんな名前かな??って

....そしてその当日
順番に名前が告げられました。
Grace、Mary、Tom、聞きなれた素敵な外国の人のお名前が次々と..
そしてドキドキわたしの番
 「Sandra」
は?なにそれ?
サンドラという聞きなれぬ響きに一瞬  え~っ???
何それ?聞いたことないし、変な名前
あの時の衝撃は忘れられないよ~
何だか意地悪な役の女の子の名前を命名された気がして(笑)
家に戻って母にその名前をがっかりしながら報告すると
「ん?何そのサンダワラって?米俵みたい。」
って大笑いされて、テンションマックス落ちました。
今、聞くとシャープでできる女風の名前ですけどね。
昭和の小学4年生には受け入れることなんてできなかったな(笑)
それにしても
こんなことばかりしか覚えてません。
英語は全く上達しませんでした。
2年くらいでやめてしまった気がします。

ただ大学は英文科に進みましたがね。
英語が得意だったわけではありません。
そこだけが合格したからです(笑)
P5201703
この木はその頃からあった気がします。
このカーブの具合がなんとなく記憶の片隅に...
確か上ったことがあるような...ないような...
いや、ありますね。絶対(笑)


よろしければクリックお願いたします^^


にほんブログ村

母は小さな洋裁店を経営していたので365日仕事です。
生まれた時からそうだったので
わたしたち姉妹は特別なことだと感じてはいなかったのですが
あの時代、家にいるお母さんが多かったせいか
母は母なりにわたしたち二人の放課後を心配していたようです。
P1011304
祖母がいたので鍵っ子(死語?)ではありませんでしたが
祖母はそんなに口うるさいおばあちゃんではなかったので...
学校から帰ると好きなだけおやつを食べ、
夕方まで外で遊びほうけて(笑)
好きなテレビを続けさまに見て
眠い目をこすりながら宿題を...
多分あの頃の普通の小学生の生活だったのかもしれませんが
母は目が届かない分不安だったのでしょう(笑)

わたしが小学校高学年のある日突然
「塾に行きなさい。」
と突然言い渡されました。

もちろん二歳違いの妹もいつものようにセットです(笑)

母は何か決める時、いつもこのパターンで(絵の教室の時もそうでしたが、笑)
私たちには一切相談なし。
商売をしていて、顏がわりと広かった母は
誰かに聞いて勝手に決めてくるのです。

その塾は少し遠くて、バスでいくつか乗り、
小学生が歩くにはふさわしくない、ちょと飲み屋さんの多い
細い商店街を5分歩いたところにある塾でした。
自宅の周りにはほとんど塾なんてない時代です。
P5201716

塾が終わる頃、店から帰る母と待ち合わせてバスで帰ったりしてました。
あの頃の地方都市の小学生には珍しかったでしょうね。
もう暗くなったバス停で母と待ち合わせて帰るのは...
でもわたしたち姉妹にはそんなに違和感はありませんでした。
子供ってそんなものかもしれません。
P5201718
街中にある塾でしたが、その近隣の子供たちが多く通っていたので
ちょっと新しい世界が広がった気がしましたよ。
わたしの住んでいる地域は住宅地で
その頃は田んぼや畑も残っていてのどかなものでしたから
本当の街っ子たちは、ちょっと大人びて頭が良いような気がしましたよ(笑)
この急な流れの小さな川の音が聞こえてくる曲がり角に来ると、
もう塾がすぐそこなんです。
ゴウゴウとけっこう大きな音をたてて流れているんです。
憂鬱な気持ちが高まってきますね(汗)
P5201815
このブログを書き始めてわかったことなんですが
わたしは川や水路の水の流れる様や音が記憶を呼び起こしてくれるんです。
記憶だけではなく、すっかり忘れていた遠い遠い感覚や、感情までも...
わたしの住んでいる地域は川や水路が多い地域なので、
特にそう感じるのかもしれませんが...

さあ、思い切ってこの角を曲がりましょう。
あ~、見えてきました。ありました。
なぜでしょうこんなに時間が経っても、もうあの塾で勉強しなくちゃいけないわけでもないのに
あの時のいや~な感覚が胸の奥に甦ってきますハハハ...
BlogPaint
この信号まで来るともう目の前なので諦め、というか腹が座るんですがね。大げさ(笑)
BlogPaint
昔のままです。一階が塾で、二階が先生のご家族が住んでいらしたと記憶しています。
でも、もう、どなたも住んでいらっしゃらない感じですね。
BlogPaint
この扉を開けると畳のお部屋に長机が置かれていて寺子屋みたいになってます。
そこで宿題をしたり。プリントを頂いて丸をつけてもらったり、
最後に先生の授業があったり...当時としては革新的(笑)
P5201723
2~3年通ったでしょうか...
基本、塾に向いている姉妹じゃありませんでしたし(笑)
案の定、妹が真っ先に大胆にさぼり始め、
わたしだけが仕方なく残り、そのうち二人とも辞めてしまいました。
ここでも妹は嫌なものは嫌なのでした。
P5201722
でも、思うのですが
わたしも母と同じように息子たちにはお稽古を勝手に決めて、押しつけた感がありますね。
水泳、空手、サッカー、バスケット、etc
母が勝手に決めたお稽古に嫌々なのか何なのか
訳も分からず通っていた自分がいたのも忘れちゃったんですね。
本当、身勝手なものです。
今頃実感してます。ゴメンね(笑)


よろしければクリックお願いいたします^^


にほんブログ村

この前の「ぼくの絵わたしの絵」で思い出したんですけれど
わたしは小学校の3,4年生の頃
絵の教室に通って...いや通わされていました。
誰って、もちろん、母に(笑)
あのたった一回の入選で気を良くしたんでしょうか?
絵の才能があると思ったんでしょうかね。
P1011251
うちは共働きでわたしと妹は俗にゆうおばあちゃん子で鍵っ子(←今言う?これ。死語?)
母の仕事は自営なので土日も関係なかったし
父は会社お休みのはずなのになぜかいなかったし(笑)
むしろ皆さんがお休みの時ほど母は仮縫いなんかが入っていて
ますます忙しかったんです。

ゆえに教養+暇つぶし+非行防止?に
けっこう当時としては習い事が多い方でした。

その一つがこの日曜日の「絵の教室」
妹と二人でバスにまで乗って通わされて通っていました。

急に思い立って訪ねてみたくなりました。
もちろんピンポンしませんよ(笑)
ただ、行ってみたくなったんです。

実家からバスで15分くらいの所です。
皐月晴れに誘われて出かけました。


バス停を降りると、大きな病院があります。
工事中ですね
わたしが絵の教室に通っていたころからもうゆうに40年以上は経ってますから
もう全く昔の建物とは変わっていて当然。
BlogPaint
この緩やかな坂を上って子供の足でも10分足らずの所でした。
BlogPaint
道の端に水路が流れてます。
確かその頃もこの水路を見ながら通ってました。
記憶って蘇るんですね。こんなささいなことでも
すっかり忘れていた光景ですが、水の流れを見ながら歩いていると
その頃の自分の感覚がまだ自分の中に残っているのを感じます。
P1011228
この水路の左横の景色はまさに取り残された空間。
わたしの記憶でも古い建物だったような気がするのですが
もう廃屋っぽいですね。
P1011237
けっこうお年を召した小学校の図画工作の
男の先生が教えて下さっていたのですが
私の記憶の中では絵の先生というより学校の先生というイメージが強いです。
ちょっと怖めの(笑)


わたしの中で、絵の先生は
幼稚園の頃、母に連れられて行った山の中のアトリエみたいな所。
そこにいらっしゃった絵の好きな独身の絵の先生。
多分、今の私くらいの年齢の女の人だったと思うのですが

「トンボ」...みたいな....そんなお名前がついていたお教室だったと思うのですが
広い野原の中にある木でできた開放的な建物があって
子供たちが中でも外でも自由にお絵かきしていた
素敵な場所でした。

わたしはそこで絵を習うことがありませんでしたけど
とても印象に残りました。
なぜかそこで絵を描いている自分が思い浮かべられるんです。

お顔も全く思い出せないのですが
その方の雰囲気とか、お話しの仕方とか
普通の女の人とはちょっと違う...
自由でファンタジーで感覚が研ぎ澄まされているような
芸術家というか...全体に流れていて空気感が
妖精のように素敵で印象に残りました。
P1011236
わたしは今だにこんな子供じみた性格なのですが
その頃は本当に子どもでしたから(笑)
ますますぽわ~んとしてましたし
母によって変に大人びた部分を植え付けられていたので
バランスの取れない変な子供でした。
ゆえに
今、習っているこの絵の先生はなんだかちょと違う...芸術家っぽくないなぁ...
なんて感じていましたよ(笑)
P1011245
広いとはいえないおうちの中で何人もの大人も子供もいて
真ん中におかれた花や果物や静物を描くんです。
そして最後に先生が指導というか手直ししてくださるんですが
へたくそだったわたしは
まるで添削されているような気分に陥ってました(笑)

わたしはほんの1~2年でこのお教室は行かなくなってしまいましたが
その後この先生は小学校で校長先生まで勤められ
画家としても活躍されたと聞きました。
順風満帆な道を歩まれたのでしょう。



おお、何だかレトロな雰囲気のお店が...
P1011248
こ、これは..あまり記憶にありませんが
私たちが通っていた頃からあったお店に違いありません。
P1011249
う~ん、まさに昭和レトロ
メニューをチェック...
必ず一度食べにこよう...でも早くしないと無くなってしまうかも...
P1011231
このあたりは大学生が多い地域だからお客さんは大学生が多いのかな...
ここにはまだまだ昭和レトロな学生さんがたくさんいそうな気がしてきました。
BlogPaint
この道の突き当りまできてしまいましたよ...
ん?とするとこの手前の細い路地を右折のはず...
BlogPaint
この曲がり角だったような記憶が...
ない...あれ...じゅあ一つ前かな...
P1011243
う~んやっぱり違うし
P1011244
初めに曲がった角のここだった気がするけれど
多分ここで、ちょっと石段みたいになっていた所を上って玄関になっていたから
もう無くなってしまって駐車場になってしまったのかもしれない。
P1011239
でも、なぜかそんなに寂しさは感じませんでした。

なんせわたしも妹も絵は全く上達しませんでしたから、
ただ幼心に姉妹だけでバスに乗って出かけていくのが
小さな冒険みたいで面白くて
それだけが記憶に残っているんですね。きっと。

道の途中で一緒の教室に通う一つ年下の男の子と仲良くなって
三人で寄り道しながら次のバス停まで歩いてみたりしてました。
P1011232
妹がずっとあとで、確か大学生の頃
「あの男の子が初恋の人だったかも...」なんてカミングアウトしてましたよ(笑)
たしかにお坊ちゃま風の可愛い子でしたね。


よく見ると、もう紫陽花が蕾をスタンバイさせてますよ。
ぼやぼやしていると紫陽花が主役の梅雨がやってきます。
外に出るのが億劫になってしまいますね。
P1011622
もっともっと記憶に残っている場所に訪ねていきたいですね。

もうこれで思いつかない...というくらいまで。


よろしければ応援クリックお願いいたします^^


にほんブログ村

実家の二階のわたしの部屋からまたこんなものが発掘されました。
絵です。わたしが描いた絵。

小学校2年生の時の絵です。

お題は「たのしいゆめ」...ふ~む
P5171494
古びたアルミの額に入ってました。
P5171486
何となくあるのは知っていたんですけどね。
しみじみ見たのは初めてかも

実はこの絵は選ばれて「ぼくの絵わたしの絵」という地方のテレビ番組に出たんです。
もちろん市内の小学校の中からという狭めの地域からですよ。
でも当時、そこそこ名誉なことでした(笑)
家族みんな喜んで、放送の日に
テレビの前に揃って座って見た記憶があるんですが...
10秒くらいで終わりました。

その時のナレーションが絵の裏に書かれています。
BlogPaint
『子人(小人の間違いですね)のくにのけっこんしきのえです。
みんなうらやましそうにみています』

たしかサササっと読まれてお終いになりました。

小人さんの結婚式の夢を見たんですかね...
当時の小さい女の子はお嫁さんに行くのが夢だったかも...
今そんなこと言う小学校2年生いますかね...

ところで...この絵...うまいですか?
正直、自分ながら別に誰でも描ける、
平凡な何の特徴のない絵のように思うんですけど(笑)
当時も子供心にそう思った覚えがあります。
「え?なんでわたし?」

では
細部を検討してみましょう(笑)
小人さんの新郎新婦が兵隊さんに護られて行進してるみたいですね。
P5171495
絵に全体的に黒い斑点が飛んでいるのは、どうしてかはわからないんですが
テレビの放送から戻ってきた時こうなっていたんです。

なぜか教会です。釣鐘があって、街灯が光っていて
お月様とお星さまが出ている。ナイトウエディングという設定みたいです。
そこはちょっとオシャレで革新的発想ですね。
P5171496
右側には三つ子ちゃんが桜田淳子ちゃんがしていたような
エンゼルハットみたいな帽子をかぶってますね。
これは可愛いです。わたし的にはポイント高いです。
P5171497
左側にはお母さんに連れられた二人の男の子が喜んでいます。
「イエ~ィ」のポーズしてます。
P5171500
この感じもいいですね。脇役はしっかり描けてます(笑)
この三人は未来の自分たちですかね。
真ん中のお母さんは自分で二人の息子を連れてますから(笑)
イエ~ィのポーズの方は長男君でまん丸顔のおとなしそうなのは次男くん
不思議と似てるわ...予言の絵かしら?...こんな目線で見ると感慨深いです。

いやいや当時はオレンジのドレスの花嫁さんが自分でしょ
とすると黄土色の服着た新郎は主人ですかね(笑)
主役の衣装の色のセンスがいまいちですねぇ。
当時もそれは気に入らなかった覚えがありますよ。
さすが洋裁店の娘(笑)

そして極めつけはこの絵といっしょに額の中に
こんな写真が隠されて?いたんです。
多分、母が入れたのではないかと思うんですけどね。

こんな風に画用紙と重ねて隠して(笑)あったんです。
かなり大判の写真です。わたしの写真(爆笑)
メチャクチャ綺麗に撮れてます。
なんせわたしのお見合い写真だったものですから(笑)
引き延ばしてあったんですね。何のため?(笑)
BlogPaint
主人にもお見合い写真はこれが見せられたと思うのですが
実物よりかなりよく撮れているので
最初会った時、ビックリしたでしょうね...ハハハハ...
そういえば何かの時
「お見合い写真は5割増しと思って間違いない。」
って言ってましたっけ(笑)
そう。まちがいないね。それは(笑)

それにしても
スカートの柄が素敵でしょ?
母が高級なシルクの余り布で作ってくれたんですよ。
当時母の一番のお気に入りの作品でした。

今でも家にあります。
もう入りませんけど(笑)

よろしければ応援クリックお願いいたします^^



にほんブログ村

小学校の頃のさよなら帖が出てきました。
どこかにあるのはわかっていたのですが...

懐かしいです。
こんな大作を書いてくれてる子もいます。

右下の大きなお目目の女の子はわたしの中学生スタイルという大サービス

BlogPaint


あの頃「あべ静江」さんが大流行。
水色の手紙、コーヒーショップで、突然の愛
ずらり懐かしいヒット曲で飾られています。

BlogPaint

あべ静江さん...すごい美人でした。
子供心に綺麗だな~好きだな~美人っていいな~って思ってました。


水色の手紙の時の独特のマイクの持ち方をみんなで真似して歌ってました。

みんなあべ静江さんが大好きみたい...あちこちに書いてありますよ。
BlogPaint
自作のローマ字のサインもさよなら帖定番

「藍美代子」さん懐かし~

BlogPaint
みかんの花咲くころ...透き通った声が印象的でした。
「青いミカンが実った♪ ふるさとの丘に~♪」
うん、歌えるね、まだ(笑)

お約束の「山口百恵」さん、「麻丘めぐみ」さんも
不動の人気がありました。

左下のイラストはわたしらしい...似てるかもです(笑)
母の好みで広~いおでこを全部出してました。
BlogPaint

そしてとても大人っぽく、綺麗に書いてくれたもの...
BlogPaint
とても美しい詩、挿絵
万年筆で丁寧に書かれた字
今見てもちっとも古く感じません。
BlogPaint
いろんなことがありましたが
最後のご挨拶にこんな風に書いてくれて
感激です。

今になって...「本当にありがとう」って言いたくなりました。



にほんブログ村

このページのトップヘ